2013年2月8日金曜日

「はっきり言って」の戒め


 大学生の頃、教養科目で「文学」の授業をとっていました。担当教授はたいへん温厚な方で、いわゆる「楽勝」な講座として学生に人気がありました。
 授業の進め方もじつにユニークでした。まず各自に短冊状の紙が5枚ほど配られます。その紙に、先生の問いに対して簡潔な意見を記し、提出します。

 例えば、「ルース・ベネディクトは、『菊と刀』で、欧米が罪の文化であるのに対し、日本は恥の文化である、と規定しましたよね。この点について評価してください」といった具合です。

 先生は各自の意見をいくつか紹介し、これを評したり、さらに次の問いかけに結びつけたりされます。学生の意見に、面白い視点やざん新なメタファーを見出すと、とてもほめてくださいました。
 
 そんな居眠りしている暇のない楽しい講義にも、ただ一点、厳然たるルールがありました。それは「『はっきり言って』と言ってはいけない」ことです。

 なぜか。先生によれば「『はっきり言って』というフレーズは、はっきり言えない時に必要なもの。本当にはっきり意見を述べれば、『はっきり言って』はいらない」。

 確かに、駄本の書評をするときに「はっきり言って駄作だと思います」というフレーズは不必要なように思われます。その本が駄作であることを示す要素、たとえば剽窃や事実誤認、結論の説得力の無さ、前著と比較したときの新規性の不足などを具体的に示すことができれば、駄作といわずとも、評者がその本に対して下した評価は、十分に読者に伝わることでしょう。

 先生が授業で伝えたかったのは「論理的に考え、表現すること」であったと今はわかります。ですが、ロジカル・シンキングがもてはやされる昨今でも、論理性軽視の風潮にさして変化はないようです。「ロジック重視」という人たちから「その意見はなんとなくロジカルじゃない」などと論理性とかけ離れた発言があると、たいへん残念な気持ちにおそわれます。






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