2013年10月9日水曜日

大友家にとっての関ヶ原~滝口康彦『悪名の旗』

 田原紹忍(たばる・じょうにん)。義鎮(宗麟)・義統(吉)二代に仕えた大友家の重臣です。

 奈多八幡の大宮司で、大友家の部将でもあった奈多鑑基(なだあきもと)の子として生まれた紹忍は、大友庶流の名家である田原家の養子となり、田原親賢(たばるちかかた)と称しました。その後、彼は田原家の勢力と主君・大友宗麟の義兄宗麟の妻は奈多鑑基の子)という立場を背景に、大友家中の実力者として急速に力をつけ、その絶頂期には、宗麟すら遠慮したほどの威勢を誇ったといわれています。

 耳川の合戦は言うに及ばず、歴史の表舞台で、紹忍ほど大友家没落につながる局面にことごとくネガティブに絡んでくる部将はほかにいません。私自身もこれまで、田原紹忍に大友家の獅子身中の虫のような「悪役」のイメージを抱いてきました。

 しかし、名作『 拝領妻始末』の作者として知られる歴史作家・滝口康彦は、本作で田原紹忍を「大友家再興のために奔走する忠臣」として描いています。

 大友氏改易後、豊後竹田の中川秀成に仕えていた紹忍は、徳川家康と石田三成が覇権を争う中央の不穏な情勢を「大友家再興の好機」と捉え、同じく旧臣である宗像鎮続と謀議を重ねます。しかし、肝心の大友義統がいけない。気弱で決断力がなく、誰が見ても将たる器ではないのです。

 でも、紹忍はこの不肖の甥が可愛くてならない。たしかに将たる器ではないけれど、純粋でやさしく、憎めない義統(この義統の人物描写に、作者の温かい目線が感じられて、大分県民としては嬉しくなります)。結局、宗像鎮続も、勇将吉弘統幸も、義統の愛すべき人柄には抗しえず、勝ち目のない戦に引きずられていくのです。

 大恩ある中川秀成を裏切り、将来ある吉弘統幸を死なせ、悪名に悪名を塗り重ねても、紹忍の願いが天に通じることはついにありませんでした。

 悪名を不本意に思いつつ、それでも自らの信じるところを貫く紹忍に、思った通りにことが運ばないわが身を重ねつつ読んでいる自分に気付いた作品でした。




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